私が初めてこの映画の主人公、フローレンス.F.ジェンキンスの歌を聴いたのは大学院の頃。思わず「なんだこれ!?」って言ってしまつたわ(笑)。出演にあたり、フローレンスの声域に追いつくためにかなリ苦労したの。だって彼女はあのマリア•カラスが晚年出すのに苦労した、高い声域で歌ったのだから。それにただへ夕なだけじやなく、予測できない歌い方をする。いつでも「最後のフレ—ズではちやんと歌えるのでは?」と期待を持たせられる何かがあつたのよ。だからこそ、カーネギーホ—ルを観客でいっぱいにできたのでしようね。
フローレンスの人生にはたくさんの試練があったはずよ。裕福でも、見方によれば、彼女は滑稽で、年配で、ぜいたくで、病人で……でも毎日「水が半分入ったグラスは、『半分しか』ではなく、『半分も』入っている。できる限リ、幸せな気持ちでいるわ」と思える人。どんな試練も見方を変えれば幸せに変えられる。そんな彼女が私は好きなの。
彼女が頑張って歌った〃大惨事〃のようなアリア(独唱)を、人々は笑ったのではなく、楽しんでいたんだと思うの。とても難しい曲で、私は彼女がそういう曲を歌ったことを滑稽だとは思わない。私たちが彼女に共感できるのは、頑張って挑戦し続け、失敗して……でも、その頑張リこそが素晴らしいということ。
彼女は夫らの愛に包まれ、夢を実現したの。愛とは「相手の素晴らしい部分を育むこと。失敗や問題点は気にしない」ってことなのかも。